2019年09月24日 一覧

ドイツの思い出、絵本づくりの楽しみ


私は昔ドイツに住んでいたことがあります。
なぜなら、お父さんの再婚相手であるお母さんがドイツ人だからです。
そんな父と母の仕事の関係で、13歳から18歳まで、ドイツで暮らしていました。
ドイツで通っていたインターナショナルスクールでは、色々な人種の人がいました。
アジア人もいないことはなかったのですが、珍しかったらしくすごく注目されて恥ずかしかったのを覚えています。
たとえば、私の目が黒いことにびっくりしたようで、「本当に黒いんだね…」と顔を覗き込んできた人もいました。
別に嫌ではなかったんですけどね。

あと、私はブリーチ剤を5分くらいだけつけて髪を茶色に染めているんですが、それを初めてやろうとしたときにも、クラスの子は「黒いままでいいじゃん」と言ってきました。
でも、私はどうしても染めたかったので染めていったら「あれ、意外と似合うね」と言われました。
やはりアジア系の子は黒髪、というイメージが強いんでしょうか。

仲良くしてくれた子はたくさんいたのですが、やっぱり大変だったのは英語とドイツ語でした。
英語は学校で必須なので、授業でももちろん使わなくてはいけません。
しかし、日本でずっと暮らしていた私は英語を習ったこともなかったので、まずはアルファベットから勉強するはめになりました。
父親も英語ができないほうだったので、ドイツに来てすごく苦労しただろうなと思います。
でも、母は色々な国での仕事の経験がありましたし、日本語もある程度話せるので家族間のコミュニケーションは問題ありませんでした。
また、母はひょうきんで優しい性格なので、つらいことも乗り越えられたような気がします。
ドイツ語もある程度身について、友達もたくさんできましたが、そんなときに日本に帰国することになりました。
私も母も、アートに興味があって、母は今の仕事をしていなければ、芸術関係の学校に行きたかったと言っていました。
私も母も、別にイラストがうまいというわけではないのですが、描くのは好きなんです笑)。
私はドイツのインターナショナルスクールの授業でアートコースみたいなのを専攻していたので、将来はヨーロッパのどこかの美術大学に入ろうかなあと思っていました。

でも、結局母の勤務先が日本になったので、一家で帰国することになりました。
地震のこともあってドイツの友達や親戚から、日本はやめたほうがいいのではないか、と心配されましたが、日本が懐かしかったので行きたいと思いました。
日本では私の外国っぽい名字がまた珍しがられて、進学した美術系の学校ではかなりの質問にあいました(笑)。
実はこういうわけで、と説明すると、みんなドイツに興味を持ってくれて、色々な話をすることができました。
「ドイツ語でこれは何て言うの?」とか、「ドイツでの写真を見せて!」などとドイツに興味を持ってくれる子がいて、嬉しかったです。

学校では課題で絵本を作りました。
ヨーロッパではトロールという存在が身近なので、そのトロールを主人公にした作品を描いてみました。
自分が好きなキャラクターも、トロレットという妖精のような存在なので、トロレットをテーマにして作品を作ったこともあります。
やはりドイツのことを描いた作品も多くありました。
クラスにはドイツを全然知らない子もいて、何とアジアの国だと思っている子まで何人かいたのですが、民族衣装などを知ってもらいたいと思ってイラストを描きました。

クラスの友達には、母が作ったドイツの名物お菓子をふるまったりもしました。
みんな「美味しい」と言ってくれ、嬉しかったです。
その学校を卒業して、私はドイツの方が上司にいる会社に就職することになりました。
これからもドイツと日本の架け橋になりたいと願っています。